長崎の「が」はビダク音
試験管への回帰思想を抱き続ける宮城ま咲の文芸的日々と非文芸的ぽろり。ふろむ長崎
小さい地球くんですよ~
どうも。
年に5回くらい
「あ、学生さんなのかと思った~」(オフライン)か
「え?男だよな??」(オンライン)と
言われている宮城ま咲でーすー。
私はどんだけ多面性があるのかしらん…Σ(-∀-`;)

先月仙崎に行ったばかりだったのですが
信じられんことに長崎に矢崎氏が講演に来ることになり、ドキドキワクワク行ってきましたよ><

矢崎節夫氏は母より6つ下で(あ…どうでもいい情報を…)金子みすゞの埋もれていた遺稿が集まって編まれていくきっかけとなった、もー私にとってはこの人なしじゃ成り立たん人だったりするのです(´ω`*)
最初に読んだみすゞの作品は『大漁』だったらしいです。
明治の童謡詩人集みたいなのを大学で読んでてと来たらしい。

道路の反対側では細坪なんとかが…

場所はブリックホールでした。
今年になってから何回行ってるんだろ(笑)私もすっかり長崎人ぽくなりましたね(←
主催がばってん南無の会だったこともあり、周りは50代60代えーっとそれ以上?ばっかり…
県文芸でそういう環境に慣れてなかったらビビって帰ったかも(爆

開演したーと思ったらピアノさんとメゾソプラノさん(ですっけ?)が登場して詩に曲をつけたものを歌い始めた…まではいいんだけど
「では皆さんも一緒に(゚∀゚ )」

ってーーーーーーーーーーーーーーー

これはなんの羞恥プレイですか…
歌いませんでした;;;無理;;;;;;;;;

で、講演の内容ですが…
例によってメモをさらします笑

分かりやすく要約できるとかは思ってない。

これは稚拙な文章ででもいいから知ってほしい(屮゚Д゚)屮カモォォォン
と思ったので、メモを元にかいつまんで書いてみます。

-8-8-8-8-8-8-8-8-

自分、というのは 自然分身 ということ。
相手の存在というのは「そちらの私」でしかない。
“私とあなた”という視点のままで傲慢だと「人間動物」でしかなくて、“あなたと私”と捉えて「…恥ずかしい」と思えて初めて、「人間」になれる。
みすゞの詩の世界は 自分中心 ではなくて 自分を中心 に考えている。
例えば生まれた時に周りに家族なり医療関係者なりの「人間」が居てくれたからこそ、自分が「人間である」と認識できている。
子供(この場合、赤ちゃん)が生まれて初めて「親」になるし「祖父母」になれる。逆もしかりで、祖父母や親が居るから生まれてこれる。
生命というのは、何度も「90%以上の生命体が絶滅した危機」を乗り越えてきたのであって、その末に私らがこうやって生まれたんだから、どの命も大切なもの。

私と小鳥とすずと
に「みんなちがって みんないい」とあるが、
前提として
他の命を大切にしない人には当てはまらない。
いじめっことか迷惑行為をしてる人までそのままでいいなんてことはない。
この詩は
最終連で「鈴と、小鳥と、それから私」という順ででてくるのであって
先に周囲の存在に対して「あなたはあなたでいいんだよ」と認めて初めて、自分が自分のままでいいんだと言えるんだ。

-8-8-8-8-8-8-8-8-8-

こだまし合うということに関して。

相手の言葉に共感する ということは こだまする ということ。
揺らぐ。共鳴する。
子供が「痛い」と言ったら「痛いね」と返してあげるのが大切。
20世紀は親はこれをしてこなかったのではないか?「痛くない!」と大人に言われて子供たちはどんなに寂しい気持ちだったでしょう
…と矢崎氏
(…首がもげるくらいブンブン頷く私。笑)
寂しい時』では
「私が さびしい時に ほとけさまは さびしいの」
となっている。
最上最善の存在は“こだまして”くれるものであって、「寂しさ」とかを打ち消すものではない。
そしてこの詩で
「私が さびしい時に おかあさんは やさしいの」
とある。優しいという字は 憂えている人のそばに立って共にうなづくという行為ではないか?
優しくするというのは、共感してこだますることであろう。
※そして幸せという字も 倖 の字を使うとこだまし合ってるテイストでいい感じでしょ~と。
「いじめられている」と自分が認識するのは実はとてもみじめな気持になることで、人はそのみじめさには耐えられない。
自殺する子は、最後まで「遊んでるだけ」とか「ふざけてるだけ」といい続けるけど最後に「いじめられてる」と遺書に書いて死んでしまう。
その時に
「早く言ってくれたらよかったのに」
なんて言うのはズルいよ。
つらい事は丸ごと言葉になんてできない。断片で精いっぱい。
だから、言っている表面上の言葉の背後にあるものを思えること、「つらさに共感できて」話を聞ける事が 優しい 。
子供は宝物なのに、この何十年かで大人はそれを子供に伝えなくなってしまった。
・もし、この地球上からある日18歳以下の子供が消えてしまったら大人は絶望するでしょ? と
子供がいるということだけで大人は絶望しなくて済む、いてくれるだけで100点満点なのにどうして…
実際大切に思っていても、断片を口にしていても、子供には正しく伝わらない。ことばは省略したら伝わらない。
・幼稚園児に「牛若丸がいました」と話して聞かせても牛だと思ってしまう。「牛若丸という若者が…」と話して初めて伝わる。
省略して話したら伝わらない時期が人間にはあるのに大人は忘れてしまう。
そして、嬉しい言葉は“付きにくい”ようにできている(流れていきやすい)。だから「あなたが大切だよ」という事こそを繰り返し伝えるべきなのに、大人は、一度言われただけでも心に残ってしまう嫌な言葉やつらいことばかりを繰り返して言ってしまっている。

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「みすゞの詩は…最後の連がいい。
だから、繰り返して読みたくなるでしょ?
終わり方がいいんですよ。
いい終わり方、いい別れ方をすれば、繰り返したくなる。
こだましたくなる。
けど今は表から病院に入っても、亡くなったら裏から出すでしょ?」

-8-8-8-8-8-8-8-8-

えぇ。
読みづらくてどうもすみませんね…(/ω\)
「これは!」と思ってメモった部分だけ書いてみました。
曲解が混じっていたらホントすみません…。

この他にも
童話『こぶとりじいさん』が明治にガッとおかしくなった話もありました。
氏いわく
「勧善懲悪になっちゃってますよね…でも
“正直なおじいさん”てあるけど、社交的で踊りが上手だっただけですよね?
一方“悪いおじいさん”となっているけど、社交的じゃなかっただけです。人見知り…少なくとも鬼見知り(ここで会場どっかん)で、運動神経があんまりなかっただけなんですよ…。
“正直なおじいさん”がホントにいい人だったら、自分のこぶをつけられて、こぶが2つに増えちゃって泣いてる人の横でニコニコ笑ってられますか?」
そこで紹介されたのが『こぶとり』というみすゞの作品でした。
“正直じいさんも意地悪じいさんもこぶが1つずつになってにこにこ笑いながら山から下りてくる”という結末のものです。
昔読んだ時はふーん…で終わってしまったけど、こりゃあ…!!!
やっぱりさすがですよ><

2時間くらいでした。
バッグをずっと膝の上に乗せてたので正直疲れはしましたよ…(苦笑
けど、「いいはずだ」と思って行ったら何のなんの…
すごーーーーーーーく良かったです
単にみすゞファンが楽しめるというだけでなく、広くて深かった☆

うちの親とか
教育関係者にも
聞かせたかったのぅ(´・ω・`)
せめて現役親世代がいたらよかったけど、親卒業世代がほとんどで…;
あとね
個人的に思ったのは、何だか生きててしっくり来ない20代30代も聞いたら、きっとスーッとしたろうなと。
私がそうだったからね(-ω-`)

私に書けるんはこれくらいです。
お疲れ様でした<(_7_)>



プロフィール

宮城ま咲

Author:宮城ま咲
年がら年中ショルダーバッグで出歩く流行逆行型。
猫の皮を被った柴犬の皮を被ったおっさんのような生きものです。もっさりしているよ!
色々な意味で過渡期(曲がり角だとか何とか)
再開後の当面の目標は「週イチ更新」ですかねぇ。

たまにネタが根づまりして丸ごとやーめたってなりますのよ。あーね



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